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はてダ「後藤さんの耳はうさぎ耳」から引っ越してきました

2004年からワンフォーなモーニング娘。まで[1]

まずはじめに、なぜ2004年~2014年にフォーカスしたかということなのですが、私が2004年からモーニング娘。を好きになったファンだから、です。

と言ってしまうと身も蓋もないのですが、要は私の知る中でモーニング娘。の世代交代がどのように行われてきたのか、覚えているうちに書き出せるだけ書き出しておきたいということでこの記事を書き始めました。時代の移り変わりで今となってはネット上で探せなく(探しにくく)なってしまっている情報もあり、そういうものは忘れてしまったらそれまでですので。

と言いつつ冒頭にはそれ以前に触れている部分もありますし、2004年以降でも忘れてしまっていることも多々ありますので、そのあたりツッコミ等入れていただけるととても、とても喜びます。

そしてできれば今後のモーニング娘。(あるいはハロプロ)を応援していく上で、先に見据えているものが何なのかを考えつつ評価してもらえたらな、ということで。



2004年まで(モーニング娘。システムがまだ混乱状態にあった時期)

2004年のモーニング娘。は、まさに世代交代の真っ最中でした。

「ひっきりなしにメンバーが加入しては卒業していくアイドルグループで、世代交代が終わることなんてないんじゃないの?」という話ではあり、モーニング娘。に関してもそういう見方が実は正しかった、ということに後からなるかもしれません。2014年から使い始めた年代記号「'14(ワンフォー)」「'15(ワンファイブ)」なんかも、そんな香りを感じさせなくもないです。「モー娘。」に代わる新たな略称として、ある程度定着しつつあるみたいですしね。

ただ、現在のところ私は、モーニング娘。の世代交代について以下のような見方をしています。

  1. いわゆる「黄金期(全盛期)」 ※2000年前後
  2. 一部メディアでも使われ始めた「プラチナ期」 ※2009年前後
  3. 9期以降のメンバーが形作る、これからのモーニング娘。 ※2014年11月27日以降

2004年は、この見方でいうと1と2の間、黄金期→プラチナ期の世代交代にあたる時期でした。

5期メンバー、6期メンバー加入

2001年から2003年にかけて、後にモーニング娘。(プラチナ期)を引っ張っていくことになるメンバーたちが加入しました。
ここでクリアしたのは、「現行(黄金期)のメンバーと組み合わせてより魅力を増すメンバーだけでなく、次世代を自分達で担うメンバーを加入させること」。

例えばその直前に加入した4期メンバー*1に「自分達で担う」ことが能力的にできないという意味では全くなくて、それまでは「既存メンバーを前提として」魅力的なメンバーを選ぶ方式だったのがそうでなくなった、ここからは別の形のモーニング娘。を作り始めた、という意味合いです。

これは非常に重要なことでありながら対外的には伝わりにくく、当時のファンの中でも賛否両論だったようです。*2

ただ、これは今だからこそ言えることであって、いきなり入りたての子供をそう思えと言われても難しかったというのが当然の反応だっただろう、と思います。初期から応援されていた方の中には5期メンバーの選考基準が次世代を見据えたものだと気づかれる方もいらっしゃったようですが、それは気づかれた方が凄かったんじゃないかな、と思います。

モーニング娘。(プラチナ期)を引っ張っていくことになるメンバー』と書きましたが、プラチナ期のメンバーが後にそう評価されたように「歌唱・ダンス的なライブパフォーマンス力にすぐれて」いたのは決して初めからそうだったわけではなく、メンバーによって「子供にしてはうまい」だったり、「そういえば音程は外してないね」だったり、もちろん下手なメンバーもいたり。のちに大人っぽく綺麗になったメンバーも、当時はいかにも子供だったり表情が硬くて能面のようだったり、のちにトークスキルやファンとの接し方で絶賛されることになる道重さんもその頃は間の取り方等々まるでうまく行ってなかったりと、単純にその当時の状態で評価すれば「悪い意味でモーニング娘。に馴染めていない」と感じる人がやはり多かったのではないかと思います。

また、実力のみならず育成環境も整っていませんでした。トーク面に関しては、ソロラジオは有名先輩メンバーがオファーを受けてするものであり、後輩メンバーがトーク練習のためにラジオ番組を持つことはあまりありませんでした。また、コンサートのMCは定型句*3または寸劇で、これもトーク練習の場たり得ませんでした。握手会もほぼありませんでしたので、とっさに聞かれたことに答える訓練というのもありませんでした。

歌・ダンスに関しては、コンサートツアーが毎年2ツアーありそのためのリハーサルも厳しいものだったので実践練習だけはそれなりに積めていました。ただ、リハーサルはあくまでコンサートツアーのためのリハーサルであって、日常的にスキル向上のために行う発声・ダンスレッスンというものは受けられていなかったようです。

これはいわゆる黄金期のOGメンバーにも言えることで、当時の映像を見ると、テレビでホームランは打てても空振り率もわりと高かったり、まともな一人喋りは経験がなくてできなかったり、といった場面がしばしば見られます。歌・ダンスのレッスンを受けられなかったという点についても同様で、例えば現在安倍なつみさんは素晴らしい歌唱をされていますが(YouTube)、どの時代も常に素晴らしい歌唱だったというわけではありません。*4 また、ダンスに関しては実質LOVEマシーン(7th)から始まったと言ってよく、根本的なレッスンを積めていない弊害は先輩メンバーほど強めに出ていたように感じます。

現在のスタッフ側の育成手法も、モーニング娘。メンバーの先輩としての育成手法も、初期から徐々に積み上げられていっての今であり、この当時はまだその道の途中でした*5。ですので、事務所側のシステムの至らない部分を人間のスキルでカバーするにも限界があり、この時期のメンバーの成長スピードは、2014年現在のモーニング娘。に比べかなりゆっくりしたものだったように感じます。

ハロマゲドン(2002年)

少し遡って、当時の世代交代がどう見られていたかについて少し書きたいと思います。

詳しくは措きますが、ファンの中で「ハロマゲドン」と呼ばれる2002年のハロプロ改革の中で為されたことの一つに「モーニング娘。の先輩メンバーをタンポポプッチモニミニモニ。から卒業させ、代わりに5期メンバーとモーニング娘。以外のグループのハロプロメンバーをこの3ユニットに加入させて対外的にアピールする」というものがありました。

当時のユニットの中でもプッチモニ後藤真希さん・保田圭さん卒業により加入を行う必然性があったものの*6、他のユニットは特に意味もなく先輩が追い出されて新メンバーを入れるということが行われ、特にモーニング娘。初期から長く愛されてきたユニット「タンポポ」のラスト公演では、横浜アリーナサイリウムで黄色に染まるというタンポポ祭りが起こりました。

これはネット上のファンの呼びかけによって*7ファン一人一人が黄色のサイリウムを持ち寄ったことによるサイリウム祭り現象でした。呼びかけていた*8ファンの方たちも成功したことに驚いた、と聞きます。公演のDVDでも、飯田圭織さんの「タンポポがいっぱいだよ」の言葉とともにとても感動的な場面になっていて、この後サイリウム祭りが定番化していったのも納得の情景でした。*9

しかし、このタンポポ祭りの原動力のひとつには、あくまで一部ではありますが、「タンポポが事実上解体されることへの抗議」や「事務所への不信感」があったことは見逃せない事実です。

2014年11月26日に完了した5期~8期世代から9期以降の世代へのバトンタッチでも、時に「どうせ事務所はさっさと下のメンバーに世代交代させたいんでしょ」といった声を聞くことがありました。2回目のバトンタッチでもこういったことが起こるわけですから、まして初回となれば。しかも、こんな理不尽な追い出し方をして新メンバーを目立たせようとするのでは、反発を招いても不思議はありません。

しかも、4期まではASAYANオーディション、5期からは事務所独自オーディションとなっていて、それ以外にも様々な「モーニング娘。」運営上の体制変化があった時期だったので、反発は「これからは事務所が好きに選んだ5期以降だけを大事にするつもりなんじゃないだろうな」というような不安も手伝っていたような印象を受けました*10。ネガティブな情報は印象に残りやすく拡散されやすいので尚更です。そんな印象のついてしまった一度目の世代交代は、新しいものに素早く反応するはずのネット内ファンシーンの中でさえも難航していた、ましてテレビの世界では……というのが、2004年にファンになった私の印象でした。

……さらに、これだけの犠牲を払って5期メンバー(と、モーニング娘。以外のグループ)を目立たせようとしたわりには、このユニットメンバー変更はあまり大きな力を発揮できず尻すぼみになってしまっていたように思います。そしてたぶん、これは当然の帰結だったんじゃないかなと思っています。新世代を担う、上の世代と違う個性のメンバーを選んだということは、既存の色に合わないということでもあります。ましてや、他グループで活動しているメンバーは尚更です。そんな彼女らを既に知名度のある手近な既存ユニットで売ろうとしたことが、色々な意味で裏目に出る結果となっていた…というのが、2002年のこの改革ではないかと思います。

コンサートの会場が大箱からホールに(2004年頃)

2004年に戻りますと、当時はモーニング娘。のライブの評判があまり良くなかった時期でもありました。実際、ずっとコンサートに行き続けていた初期からのファンの方の意見では、「一番ライブを見ていて辛かったのは2003年頃」という声も聞いたことがあります。そんなこの当時、ライブのレベルが落ちた原因として、子供メンバーの大量加入の他に「スキルに対して箱が大きすぎ」ということもあったのではないかと思っています。

元々、ハロプロの事務所は東京ドームなどでやれる力があってもさいたまスーパーアリーナ3daysといった公演の取り方を好む事務所で*11、人気面で言えば分不相応に大箱でやっていたというわけではなかったものの、加入したての子供メンバーが多数派になってしまっていた当時では、このサイズで会場全体を楽しませるのは厳しいものがあったように感じます。当時は今ほど音響が発達していなかったので尚更そうだったのではないか、とも。

でも、2004年秋ツアー以降ホールコンサートが主になったことで当時の身の丈に合ったコンサートができるようになり、音響も良くなりました。また、ホールに合わせたパフォーマンスをするようになったことでおそらく、ダンスの重要性も増しました。大箱だとやっぱり、とりあえず走る!ジャンプ!大きく動く!になりがちだったんじゃないかなあと、当時のコンサート映像を見ていると感じます。



>[]につづきます。

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*1:石川梨華吉澤ひとみ辻希美加護亜依

*2:これは「後追いで当時の先輩ヲタの皆さんのホームページの日記等を読ませていただいて、結果私はこう理解しました」ということであって、リアルタイムでそれを見ていたわけではありませんのでその程度にお読みください。

*3:ビートルズファンのつんくさんのこだわりから来てたものだそうで、どのコンサートに来ても同じだけのものを提供するという意味合いがあったと聞きますが、残念ながらその価値を感じられる内容ではありませんでした

*4:個人的には2004年にファンになった当時から安倍さんの歌は大好きなので、常に素晴らしかったと言ってしまいたい部分もあるのですが^^; それでもやっぱり当時と今とでは全然違いますから

*5:もちろん、今もその道の途中だと日々感じていますが。

*6:とはいえ、当時はモーニング娘。を卒業してもハロプロは離れなかったので、入れ替わりにモーニング娘。以外のハロプロメンバーが加入するのでは後藤さん保田さんがなぜプッチモニを卒業するのかよくわからない、という状況でもありました

*7:おそらくは各コンサート会場での口コミも手伝って

*8:※といっても、実行委員会的な組織はなく、個々が周りに広める、ネットに書き込むといった個人行動によったそうで、そのあたりも以後のサイリウム祭りとは一線を画しています。サイリウム祭りは、この当時は個々の呼びかけによって起きていたものがその後ファンの一時的な実行委員会による組織的呼びかけでなされるようになり、さらにほぼ全てのサイリウムを実行委員会が用意する(その資金を寄付で募ったり、募らなかったり)形に変化しました。そして現在は、キングブレードなど多色ペンライトによる色変更の手軽化で、特別なことがなくてもソロ曲では一色に染まるように変化しています。

*9:本当はこのサイリウム祭りは初のサイリウム祭りではなく、この少し前にも比較的小規模なハロプロイベントで一度成功していたという話も聞いたことがあります。

*10:私が情報を追い始めた2004年もまだまだ世代交代真っ最中でしたから、こういった発言を実際に見かけることもありました

*11:地方公演ではドームや野外会場も使っていたので100%ではないものの、ドームを極力使わない事務所なんだなという印象があります。おそらく一番大きな理由は、冒険をしない事務所だということ。もう一つは音響面なのではないかと見ていますが、実際はどうだったのか分かりません。音楽がメインではないハロプロ運動会などでは東京ドームを使ったことがありますが、スポンサーさんがついていたから使ったという風にも見えますのでなんとも言えません。