紺野さんは十割そばがお好き

はてダ「後藤さんの耳はうさぎ耳」から引っ越してきました

『「中卒」アイドルは女子アナを目指した』


さてすっかり遅ればせなこの話題。日付を見ると「2013年4月4日(木)」(ノ∀`)

ひと月たっちゃってるんですが、気を取り直しまして。

実は、モー娘から女子アナになった詳しい経緯は、テレ東の社員もあまり詳しく知りません。テレ東に入社後、紺野アナは自分の「モー娘。」時代過去をあまり語ることがなかったからです。

入社後は勿論ですが、モーニング娘。時代もあまり自分のことを語らない人でしたね(笑)。例外はハロプロ一時復帰時(大学・ガッタス並行時)のいっときで、この頃の音楽ガッタスラジオでは趣味のこととかけっこう語ってました。……というか、テンション上がりすぎて壊れてました

たぶんですが、モーニング娘。時代も「私はプロとしてまだまだだ」って意識が強くて、自分の趣味の話なんてできなかったんじゃないかなって気がします*1。もし話してくれたらファンは大喜びで「アイドル紺野あさ美の趣味の話」を楽しんだと思うのでそれも仕事の一環としてOKだと思うんですけど。

まあ、単にレギュラーラジオがなくて*2突っ込んだ話をする機会もなかった、ってだけかもしれないんですが(ノ∀`)

単純にモ―ニング娘。に憧れていたんです。だから中学生のときから、2006年にグループ卒業することを決めるまで、私が目指していたのはアイドルではなく、あくまで「モーニング娘。」という存在。いつ卒業するかを考えていたときも、卒業後に何となくタレントを続けるということには違和感がありました。

グループには5年間在籍していましたが「卒業」の制度があったので、いつかは自分にもその時がやってくるんだろうなというのは3年目の途中あたりから意識していました。(中略)
どんな道にも良いこともあればつらいこともある。自分にとってつらいことが起きたときも負けずに熱意を注いでいけることは何だろう。そんなことを、1年ぐらいずっと考え続けていたと思います。

『自分にとってつらいことが起きたときも負けずに熱意を注いでいけることは何だろう』という進路選択基準はすごく「らしい」なと感じます。一般的に進路選択時にしばしば使われるものだとは思うんですが(私もこの基準かなり考えました)、ハロプロのメンバーの中には「幼少時から芸能の道に進むと決めてました!」とか、「いくら諦めようとしてもどうしてもこの道が諦められなかった」とか、そういう人がゴロゴロしてるわけで。そんな中で紺野さんの感覚ってすごく「フツー」だなって感じます。

3年目っていうと2003年後半〜2004年前半あたりですね。私が紺野さんを好きになったのは2004年7月なので、その時の紺野さんは既に卒業のことをぼんやり考えてたということに。

その頃にあったことで紺野さんの意識に影響を及ぼしてそうな事柄というと、同い年の辻加護卒業決定とか、リーダーの飯田さん卒業決定とかでしょうか。飯田さん卒業時にはいろいろ意識が変わったという話を当時からしてたので、この影響は大きそうですね。

2003年春に中学を卒業した時には「両立できないから」と高校進学を諦めて、その1年後にはモーニング娘。の卒業について考え始め、2年半ほど後には高卒資格を必要としていたんだからなかなか人生って難しいものだなぁ…と思いますが、

Q)勉強は得意だった?

紺野)そんなことはなく(笑)中学校までは、授業やテストで困ることはなかったんですが、中学卒業後まともに勉強する機会はありませんでした。常識知らずな部分もたくさん。大検を取得して、さらに大学入試に合格するというのは、あのときの自分にとっては本当に長い長い道のりに思えました。正直、覚悟を決めるまでは、無謀かなと躊躇する気持ちもありました。でも、そんなとき「大学さえ出ればチャンスは開けるんだから、頑張って」という友達の何気ない一言が、なんだかすごく心に響いてたんです。

お友達GJ! そのお友達がいなかったら今の紺野さんはないかもしれないと思うと、本当に感謝ですね。ファンに感謝されても困っちゃうと思いますが(ノ∀`)

あと、モーニング娘。にいながら中学の間授業やテストで困らなかったならそれは「勉強が得意」って言うんだよ!w って思ったり(笑)。でも大検時点の話でしたねスミマセン(ノ∀`)。それに、「常識知らずな部分」についてはけっこう気にしてただろうなと思います。なんせ目標がアナウンサーですし、参考書で勉強すればすぐ追いつけるってものでもないと思うので。

大学時代に「外交」の科目を履修したって言ってたのが当時ちょっと話題になってましたけど(この科目いい成績だったそうです)、社会常識を勉強するにはいい科目だったろうなーと。


その後に続く、紺野さんの大検・入試・就活・入社後奮闘話。これ読んでると、本当に紺野さんは努力の天才(秀才?)って思います。そもそも、ハロプロって場所が努力の天才だらけで、だから紺野さんが好きで、ハロプロが好き、なんですけど(笑)。紺野さんが大学入学後、ふっと「案外大学のみんなはそんなに進路のこととか深く考えてなくて意外だった」的なことを言ってて、それだけハロプロは深く考えるのが当たり前の環境なんだろうな、と思ったことを思い出します。

「赤点」でスタートしても、「いつか絶対」という思いで努力していくつもりです。そんな中、とてもありがたいのは、先輩に恵まれていることだと思います。佐々木キャスターを始め、いろいろと教えてくださるアナウンサーの先輩が多くて本当にありがたいと思っています。ただそういう先輩たちの期待にまだきちんと応えられていないのが申し訳ないというか。でも、とにかくあきらめずに頑張るだけです。

インタビューの最後に紺野アナに聞きました。なぜ今まで「モー娘。」時代の過去を語ってこなかったのかと。
「私は会社員になりました。そしてアナウンサーはある意味で”黒子”です。ゲストを引き立てる役ですし、アイドルとは全く違う存在です。そういう意識が強くありました。」
先輩たちに負けない立派なアナウンサーを目指し、彼女の”諦めない闘い”は続いています。


紺野さんはもうアイドルではありませんが、「“努力するところを見て欲しい”と言ったキミの可能性を見ていきたい」 事務所のえらいひと(推測)が言ったこの言葉は今も生きてる、と思います。

*1:漫画は実家に置いてきた、って話してたこともありますし

*2:今のハロプロはデビュー間もないうちから積極的にラジオ仕事を取って(或いはファンクラブのWebラジオで)トークの練習をさせるようになりましたけど、紺野さんが卒業する頃にはそういう試みは「ようやくメロンさん辺りから始まったかなー」ぐらいでまだまだ娘。まで波及してなかったんですよね