紺野さんは十割そばがお好き

はてダ「後藤さんの耳はうさぎ耳」から引っ越してきました

2004年からワンフォーなモーニング娘。まで[4]

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2009年周辺(指標が上昇し始めた時期)

・海外展開スタート

少し遡って、2007年はモーニング娘。デビュー10周年の年であり、また、中国からの新メンバージュンジュン・リンリンを擁して東アジアを回った海外展開スタートの時でもありました。モーニング娘。10周年記念のアルバムは台湾や韓国でもリリースされ、さらに、そのプロモーションとしてそれぞれにイベントを開催しました。

この時モーニング娘。は、現地ファンの大歓声を浴びます。探りを入れた結果が良かったからか、翌2008年には現地コンサートとオーディションが開催されます。さらに2009年にはアメリカ。2010年には、メンバーが全員17歳を越えたので、前々からオファーされていたというフランスの舞台にも立つことができました*1アメリカでは無料で7000人、フランスでは有料で3000人を集めています。コンサートそのものの評判もよく、大成功と言っていい成果を上げました。*2

この時期と前後して、当時のメンバーは少しずつ、本当の意味でモーニング娘。になっていったように思います。それまでは、彼女らの言動から「モーニング娘。はあくまで偉大な黄金期の先輩たちのもの」という意識が見え隠れしていました。それも、良い謙虚さではなく、悪い意味で自覚や責任感がないように見えてしまうこともしばしばありました。それが徐々に変わっていった、そのきっかけのうちの一つが一連の海外公演だったのではないかと思っています。

道重さゆみ売り出しスタート

2006年秋に第一歩を踏み出した道重さん、2007年夏には明石家さんまさんにトークを鍛えられる道場ことヤングタウン土曜日に出演し始め、2009年新春から本格的にテレビのバラエティに出演し始めました。

当初は道重さんの「攻撃的なこと言ってるのに腰が引けてる感じ(当時はそうだったんです)」とか、毒舌も行き過ぎたりキレがなかったりするところがバラエティ展開上どう転ぶかとヒヤヒヤしていましたが、本来先輩をすごく立てるタイプで楽屋挨拶も欠かさなかった道重さんは共演者の方に怒られるどころか可愛がっていただくことが多かったそうで、番組側にも繰り返し使われている状況を見て「気に入られてるんだ」と一安心。「モーニング娘。のイメージが悪くなる」と不安視する声もありましたが、実際にどう転んだかは、今の流れを見れば言わずもがなです。もちろんその時のイメージをいつまでも忘れない視聴者さんもいるとは思いますが、トータルでプラスになったのは間違いないかな、と思っています。

ただ、空気をよく読むタイプでファンに激しく攻撃されるようなことがそれまであまりなかった道重さんが、この頃世間にも一部ファンにもああだこうだと叩かれていたのは、多忙もあいまってキツいかもしれないな……というのは当時心配していた部分ではありました。実際体調を崩している様子も見受けられました。それでも頑張り続けてくれた道重さんが、数年かけてマスメディア面の突破口を開いてくれたことはとても大きな功績だと思います。*3


ハロプロ分割

2009年春、ハロプロの年上メンバーがハロプロを一斉卒業しました。

それまではモーニング娘。を卒業した人も、現役モーニング娘。の年齢や芸歴を追い越していたメロン記念日松浦亜弥さんも、みんな一緒に「ハロー!プロジェクト」と称していました。つまりハロプロのドンは一貫して初代リーダー・中澤裕子さんだったことになります。

それがこの時、ハロプロといくつかの卒業生用ファンクラブに分かれ、ハロプロのリーダーは当時のモーニング娘。リーダー高橋愛に代替わりしました。

それまではたとえモーニング娘。リーダーになっても上に先輩がいるのが当たり前で、ハロプロのコンサートにもハロモニ。などのレギュラー番組にも卒業生が常に出演していました*4。しかしここでキッパリと卒業生と現役メンバーが分かれ、どんな活動であれ現モーニング娘。のことは現役モーニング娘。メンバーが、現ハロプロのことは現役ハロプロメンバーが責任を負うのが当たり前、という空気に自然と変わっていきました。

もちろん事実としてはそれまでも、「現モーニング娘。」は現役モーニング娘。メンバーのものだったはずです。ですが、本当の意味でそれを実現するには、コンスタントに先輩たちと一緒に仕事をする状態は良くなかったんだろうな、と当時を振り返って感じます。応援する側のファンの心理も含めて、ここでガラッと意識が変わった感がありました。

特にモーニング娘。以外の若手ハロプロメンバーにおいては、ここで初めての世代交代が為されたと言ってもいいかもしれません。こういった変化も含めた「モーニング娘。以外のハロプロメンバー(グループ)が、モーニング娘。に対抗しうる存在になるまで」なども語ってみたいですが、それはまた機会があれば。*5

最近は各種イベントやカウントダウンコンサートなどで現役とOGの共演も増えてきて、線引きを緩めることで互いの交流を図っているのかなと感じるところもあります。今ではモーニング娘。が現役のものであることをファンもメンバーも昔よりきちんと感じ取れているので、今度は逆に、OG・現役のファン層分断や情報分断、結果として起こるファンの世代間論争などを防ぐ方向に舵を切り替えてきたのかな、と思っています。

・ダンスショット、コンサートツアー「プラチナ9DISCO」が評判に

そんな改革が行われた2009年の初頭にリリースされたのが38th「泣いちゃうかも」。このダンスショットYouTubeでじわじわと話題になっていきました。当時は公式YouTubeアカウントがなかったのでいくら話題になっても消されたり、カウントも分散してしまったりとまとまりがありませんでしたが、PV動画のうち1つは非公式アカウントにもかかわらず100万回以上再生されていました。

当時はフォーメーションダンスを特に売りにはしていませんでしたが、この曲は全員で同じ振りをするシーンの多い、フォーメーションダンス的な曲でした。同じ振りが合っているというのはダンス素人でも分かりやすい語りやすい特徴なので、語る人の裾野が広がりやすく、また、ダンスを良く知る方が語りたくなりそうな裏打ちリズム等のポイントもあり、そのあたりが話題になりやすかったポイントなのかな、と思っています。

また、2009年春には『プラチナ期』の名前の由来となったアルバム「プラチナ9DISC」が発売され、その曲を引っさげたツアー「プラチナ9DISCO」が開催されました。*6

このツアーの評判が良く、「友達を連れていったらファンになってくれた」というような言葉をよく見かけるようになりました。7月にDVDが発売されると、特にオープニング~1曲目「SONGS」の演出が話題を呼び、YouTube経由のファンも更に増えていきました。

秋に発売された41st「気まぐれプリンセス」ダンスショットはまた、「泣いちゃうかも」と同じようにYouTubeで話題になっていきました。特にこの曲では海外版の「踊ってみた」*7が多数投稿されていました。*8

そして、こういった「揃える」系の振り付けなどパッと見て分かるものがYouTube時代と相性がいいと気付いた事務所がその後取った戦略が今の「フォーメーションダンス」ではないか、と私は考えています。この頃後追いで少しだけ評価されていた曲に2005年発売「色っぽい じれったい」があるのですが、こちらの曲も今のフォーメーションダンスに通じるものがあると思います。

ただ、フォーメーションにこだわることでマイナスになる部分もありますので、今後うまく売り出しが成功し知名度が上がればまたこの路線は変えていくことになるだろう、と思っています。メンバーがまだ若くて技術的にも心もとないという時期に分かりやすい凄さをアピールする手法でもあったと思うので、技術が向上すれば維持する必要はなくなるだろう、という理由もあります。

モーニング娘。テレビ展開開始

前後して5月、39th「しょうがない 夢追い人」で2年半ぶりのオリコン週間1位を獲得して少し話題になりました。また、初の1位を獲得した8期メンバーからは「やっと本当にモーニング娘。になれた気がした」という言葉も出てきました。……2006年、「歩いてる」で1位をとった当時のメンバーにも、そんなことがあったのかもしれません。

さらにここから40th記念シングル「なんちゃって恋愛」にかけて久しぶりのメディア攻勢が入ります。テレビ出演に関しては卒業メンバーとの抱き合わせ出演であることに議論も起こりましたが、結局のところ見てもらわないことには良いか悪いかを語ってもらうこともできませんし、これまで出ていなかったのに急にテレビに出たいと言ってこちらの希望ばかりが通るわけもありません。もちろんメンバーはテレビに慣れていないし自信もなくて世間も敵だった頃でしたからド緊張状態でトークはヤバいことになっていましたが、この時一番テレビ露出できた「なんちゃって恋愛」は、SNSなどで同世代女性などにそれなりに共感を得ていることが分かったり、コンサートではこの曲が始まると女性の歓声が聞こえたりとなかなかの手応えが感じられました。前年の「リゾナント ブルー」の頃と比べ、明確に前進したことが感じられるようになっていたんです。

・各種指標が上昇を始める

そんな2009年春、それまで下降→横ばいの状態だったGoogle検索数が底を打ち、少しずつ上昇を始めました。

また、iTunesの「モーニング娘。」ランキングやYouTubeの「モーニング娘。」検索などで、いわゆる「黄金期」の曲が上位を独占していたのが、新しくリリースされた曲も上位に食い込むようになっていきました。

同様に、それまで低かったコンサートの女性比率や若年層比率も回復し始めました。女性比率は2008年には1割ほどだったのが、2009~2010年の間に2割へ、2011~2012あたりで3割へと変化しました。今はどんな比率なのか分かりませんが、コンサートで2階席後方を取ったら「周り女性しかいないじゃん!もしくはカップル(多分?)!」なんて状況に遭遇したこともありました(2013年、大阪2階席)。1階は明らかに男性の方が多かったので、結局何割なのかは私にはよくわかりません。。さらに2014年末の道重さゆみ卒業コンサートでは、コンサート会場では男性が過半数、ライブビューイング会場では女性が過半数となっていたようです。卒業コンサートでは毎回女性が多くなることを差し引いても、女性比率は上がり続けていると言ってもいいのではないでしょうか。


]へつづく

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*1:フランスでは16歳までは舞台に立てない

*2:これらはアニメ系イベントのゲストコンサート。例年の同イベント動員数と比べても多かったです。そして、2014年には初の海外単独コンサート(もちろん有料)で2000人を集めています。

*3:もっとも、一番道重さん的にキツかったのはこの頃のトーク面よりも、中堅になっているのに活躍の場を与えられなくなった2007~2008年あたりだったのかもしれません。これはご本人の発言でも何度か出てきたことがあり、それもあって2009年頃は疲れていても頑張れていたのかもしれません。

*4:これらも2006年前後から徐々に独立させる方向になってきてはいましたが

*5:……といいますか、私はなんだかんだモーニング娘。メインの人間ですし、リアルタイムで知ってると言えそうなのは実質2005年以降ですので、私よりもっとよくご存じの方に語って欲しいな、と思っています。モーニング娘。メンバー抜きでのオリコントップ10入りとか、初単独ツアーとか、売り上げがモーニング娘。に近づいていく過程とか、初単独アリーナとか、「モーニング娘。以外からの初のハロプロリーダー就任」とか、「モーニング娘。を含まないメンバー構成での初のオリコン週間1位」などなど。

*6:実際には前年2008年秋ツアーでもこの 「プラチナ9DISC」の曲は数曲披露されていて、カバーアルバム「COVER YOU」が入ってこなければ2008年にリリースされていたのでは?と言われています。また、このアルバムに収録されている「雨の降らない星では愛せないだろう?」という曲は本来シングル曲だったことを当時のリーダー高橋愛が語っていて、カバー企画の一つであるシングル「ペッパー警部」がなければそのままシングルリリースされていたのでは、という話もあります。ハロプロのカバー曲周辺ではよくあるエピソードですね。

*7:ダンスカバー動画が投稿されていたのはたしか海外の方が先だったので「海外版踊ってみた」という言い方は本当はおかしいのではと思いますが、分かりやすさを優先しています🙇‍♀️

*8:どれぐらい投稿されていたかはたしか概算で数えていらっしゃった方がいたように思うのですがデータが出てきません。10や20の単位ではなかったと思うのですが、ご存じの方いらっしゃいましたらご一報をお願いします