紺野さんは十割そばがお好き

はてダ「後藤さんの耳はうさぎ耳」から引っ越してきました

2004年からワンフォーなモーニング娘。まで[2]

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○ 2005~2006年(ダンスが注目されていった時期、将来への施策)

・ダンスショットバージョンをオマケ販売し始める

これ以前の時期は、CDのオマケといえばメンバーのカードとか特別紙ジャケットとか缶入りCDといったグッズ的なものでした。しかし、この頃からCDのオマケにPVの別編集バージョンがつき始めます。そのうちの一つが、ダンスを引きの映像でひたすら撮っている「Dance shot Ver.」でした。

それまではダンスショットはPVの中に一部差し込まれるのみだったのですが、全体の映った一曲フルのダンスショットが公式に世に出されるようになったことでファンがダンスを語りやすくなりました。

当時はまだレギュラーテレビ番組のハロモニが健在で、ファンだからといってモーニング娘。のコンサートに行くとは限らない、コンサートの情報を追うとは限らない時代でした。メンバー自体は昔から変わらず歌を、途中からはダンスもすごく大事にしてそれをことあるごとに語っていましたが、残念ながらファンの側はそうでもなかった時期がありました。当時のログを追うと、特に2003~2004年ぐらいが一番そんな空気が強かったように思います。

じゃあその当時何を語っていたかというと、トークとキャラです。それでアピールして名前を売る、それが5期以降世代はできてない!と、言われ続けていました。しかし、先述の通り練習の場もない状態で、コントや身内トークばかりやっていても…それはそれで意味が無いわけではないですし、当時の私はそれが大好きだったわけですけれども、まあ、トーク技術の面で言えばどこかで壁にぶつかってしまいますよね。

だけど、ここでひとまずファンは、公式に分かりやすく提示された材料でダンスを語ることができるようになります。そして、テレビ仕事が悲しくも減っていくことで、バラエティ面だけでファンを続けていくことが難しくなっていきます。実はこのあたりで少しずつラジオ仕事が増え始めてはいたんですが、モーニング娘。の出番はまだ少なく*1、またラジオはファン側からすればテレビの代わりにはならないので…というわけで、徐々に歌やダンスを語るファンが多数派になっていきます。特にダンスは、ダンスショットバージョンとともに広がりが加速していったように思います。

また、これが後に「踊ってみた」方向とも合流して広がっていきました。

さらに、コンサートでファンがやるといえば「ヲタ芸」だったのが、「振りコピ」に変わっていきます。元々ヲタ芸は2003年頃までの大箱コンサートで豆粒のようなメンバーに「どうせ見えないなら自分達で勝手に楽しんでしまえ」というノリで行われていたものだったので、距離もホールに落ち着いて近くなり、コンサートのレベルも楽しめるぐらいに上がっていったこの頃にはもう要らない子になっていきました。結果として、2006年頃にはヲタ芸はほぼ絶滅状態になっていたように思います。

きらりん☆レボリューション

2006年春から2009年春まで放送されたきらりん☆レボリューション。大ヒットアニメで、グッズ面でも大成功をおさめました。

主役の声優に抜擢されたのが、まだ芸歴1年に満たない最年少の久住小春でした。

この頃はいろいろな指標がまだ右肩下がりだった時期で、ここまでに述べたいろいろな改革にもかかわらず、バブル的に盛り上がったかつての人気を維持できず、入ってくるファンより出ていくファンが多い状態でした。また、この頃リリースのCD・DVDはすぐに中古価格が下がっていました。大々的な握手会などは行っていなかったにもかかわらずです。*2

そういう状態ではファンもですが、将来のメンバーとなる卵たちも得にくくなります。それをこの時期に横道から打開してくれたのがこのきらりん☆レボリューションでした。

ハロプロで活躍しているメンバーの中には、このアニメきっかけでハロプロメンバーになった人がたくさんいます。モーニング娘。だと新しくリーダーになった譜久村聖さんがそうで、きらり以前からハロプロファンではあったけど、ハロプロのオーディションを受けたきっかけはきらり関連のオーディションなんだとか*3。また、11期メンバーの小田さくらちゃんは、これもハロプロメンバーが関わっていたアニメ「しゅごキャラ!」からハロプロを好きになっていったと語っています。

前述の通りまだいろんな指標が下を向いていて、改革も道半ばなものが多かった当時は、いい曲をちょっと出したからといってすぐモーニング娘。が復活するということはまだないなと予想がつく状態でした。そんな時、将来の礎になる布石が打てたのは僥倖だったと思います。

・宝塚コラボミュージカル「リボンの騎士」(2006年)

それまでのモーニング娘。の舞台といえば、事務所お手製のシンプル舞台。見るべきところが全くないとは言わないけど、でもやっぱりあんまりないかも。少なくとも新しくファンになった人に最初に勧めはしないよね…というような、そんな状態でした。*4

しかし、この舞台は宝塚コラボ舞台で、半年以上前からモーニング娘。内オーディションで配役を決め、基礎訓練をつけてもらってから舞台稽古に入る念入りぶりでした。熱血すぎる脚本家木村信司さんは、熱血好きのハロヲタからは大喜びで迎え入れられました。「またどうせつまんない舞台だよ」派と「今回は名作の予感!」派がファンの中で入り乱れる中初日の幕があがり、幕間に投下された感想は……ファンたちのガッツポーズに次ぐガッツポーズでした。それでも今見れば、このミュージカル「リボンの騎士」も台詞の間が悪いとかハーモニーが危険とかいろいろ思うところはあるのですが、それでも当時、モーニング娘。に画期的な変化をもたらしてくれたのは間違いありません。

この時木村信司さんが仰っていたのが、「基礎はないけど経験はものすごく積んできているから、基礎を付けると一気に良くなる」ということでした。先述の通り、モーニング娘。はたとえTV仕事が山ほど入っていてもメンバーが多忙でフラフラになっていても*5毎年2回の全国ツアーを行い、年間大小100公演近くをこなし、そのためのリハーサルやダンスレッスンも行っていました。しかしここでコンサートツアーのためでないきちんとした基礎レッスンを受けさせてもらうことができ、メンバーのスキルがぐっとレベルアップします。そして、その後またほどなくして、舞台がなくとも個々に希望するレッスンを継続的に受けさせてもらえるシステムに変化していきます。*6

2007年初頭にエイベックスに移籍した後藤真希さんが「ボイトレを受けたことがない」という発言で話題になりましたが、彼女ももちろんコンサート前には必ず厳しいレッスンを受けていたわけです。そして後藤さんも、エイベックス移籍により基礎からのレッスンを受けられるようになりました。

・「モーニング娘。道重さゆみの今夜もうさちゃんピース」スタート

2006年秋、5期以降世代で実質初のソロラジオが始まります。道重さんの卒業まで8年続くこととなった「モーニング娘。道重さゆみの今夜もうさちゃんピース」です。

この頃までの道重さんは、定型的に先輩を弄るようなことは他の5期以降世代の中では比較的できていたのですが、シンプルに普通に話すということに関してはまだまだで、この番組が始まったばかりの頃はまだトークがうまいとは言えない状態でした*7。でも、これが大きな第一歩。

道重さんは加入当初から中澤裕子さんと一緒にMの黙示録というテレビ番組のMCを務めていたりして、たぶんこの世代の中でトークを期待して採ったのは道重さんなんだろうなー、という扱いは受けていました。しかし、いきなり何の経験もないローティーンを外部向けのテレビ番組のMCにしたってしゃべれるわけがなく、当時の道重さんはやはりほとんど喋れない状態でMCを務めていました。

この世代の育成は先述の通り、基礎も何もなくいきなり実戦投入ということが多く、それでも歌・ダンスにおいては厳しいレッスン・リハーサルのおかげか経験として積み重ねていけた部分もあったのですが、トークにおいては残念ながら逆に苦手意識を植え付ける結果になってしまっていました。世代交代のスピードもきっとできる限りは急いだんだろうと思います*8が、それでも下にいる間にトークに苦手意識を付けるには十分な時間がたってしまっていました。敢えて悪く言えば、「トークは自分の仕事ではない」と無意識に思ってしまっている状態だったのではないかと思います。

トークに慣れた先輩がいたら、自分が前に出て怪我するより先輩に話してもらった方がいいわけです。仮にそう思っていなかったとしても、話すべきポイントに気付くのは当然先輩の方が早いので、気付いた時にはもう遅い。しかし、この世代の売り出しはたいていは「先輩と後輩の抱き合わせ」だったので、後輩のトーク練習の役にはあまり立っていませんでした。

ある程度話せるようになってからなら抱き合わせで売り出すのは良い手だと思うのですが、コンサートのMCも定形か寸劇、ラジオも先輩と一緒、テレビも先輩と一緒、この状態ではまず普通に話せるようになるための練習の場がありません。

しかし、ここでソロラジオが来たおかげで、まず道重さんがようやく「普通に話をまとめて、できれば面白く話すこと」の練習ができるようになります。また、ソロラジオは基本的に道重さん一人に宛てておたよりが送られるので、その人にとっての"ホーム"になり、心の支えとして機能します。

そしてこの後、2007年にガキカメ*9ラジオ、8期メンバー光井愛佳のミニソロラジオ*10田中れいなソロラジオ、2009年には当時リーダーの高橋愛のソロラジオ*11、と次々ラジオが始まります。そして前後して、2005年あたりから少しずつ少しずつ、コンサートMCもフリートークの割合が上がっていきました。

このことで、長年のこの世代の課題だったトーク面が少しずつ改善されていくようになりました。少しずつ。

しかし、トークがダメだキャラがダメだと言われていた期間が長すぎて、その間にこの世代はすっかり自信をなくしてしまっていたようでした。2008年秋からコンサートのダンスを見てくださるようになった山城陽子先生が、「技術的には優れたものを持っているのに、『またそこからなの?』と思うぐらいに自信をなくしていた」というふうに語られていたほどです。*12

先日まで行われていたモーニング娘。2回目の世代交代では、最初の9期メンバー加入の時点で「できれば先輩世代よりも新世代が多くなるぐらいたくさん採りたかった(つんく♂さん)」という発言があったぐらい、世代交代を急いでいました。

これは久しぶりのオーディションだったからという以上に、前に出られない期間を極力減らし、無力感を極力植え付けないための施策だったと思っています。

実際には9期加入時はまだ先輩世代より9期の方が少ない状態になってしまっていたため、9期メンバーからはこの時期に自信をなくした、辛かったといった発言を聞くことがあります。それでも、その期間を1年足らずで済ませることができたのは、早期に独り立ちを求められることによる弊害もありながらですが*13、比較的良い舵取りだったのではないかと思っています。

YouTubeの発達とともに海外ファンが可視化されていく

2006年、YouTubeが大きく広がりました。そこにファンが勝手にコンサート映像とか、ダンスショットバージョンとか、DVDマガジンとか過去のTV出演とかを投稿したことで、YouTube経由のファンが新たに付き始めます。

そしてまず、海外版の踊ってみた動画が投稿され始めました。

一つ書いておきたいのは、海外のファンがつき始めたのはこの頃ではないということです。例えば、アメリカでは2003年頃、バラエティ番組で「13人がかりのクリスマス」というモーニング娘。特番が取り上げられたことをきっかけにファンシーンが広がっていったようです。きっかけは決してコンサートの技術面ではありませんでした。しかし、この2006年からのYouTube現象によりライブパフォーマンスについても認識され始めたのか、海外のファンがわざわざ日本のモーニング娘。のコンサートを見に来るという現象が起き始めました。私が知る限りそれは2006年秋、吉澤ひとみさんがリーダーを務められていた時代です。

そして日本のファンにも似た現象が起き始め、この頃から「YouTube経由で」「コンサート映像を見て」ファンになる人がじわじわと増えていきました。このことで、先述の「歌やダンス優先派ファン」がさらに増えてゆきます。この傾向は、モーニング娘。においてメンバーの大量加入が落ち着き、コンサートのレベルが向上していく流れと並行して加速していきました。

ただし、この頃はまだ「コンサートのレベルが向上した」ということは身内のはずのハロプロファンの中にもあまり浸透させられていない状態でした。まず、コンサートの良し悪しに興味を持たないファンがまだまだ多かった時代ですので、そんな中で「良くなった」と言っても響きません。響かないからには口に出す人も少なくなるので、コンサートの良し悪しに興味を持っている人にもいまひとつ届かない。ファンの中でも流行らない、というようなもどかしさのある状態でした。

・OG・ハロプロエッグの演劇方面への進出

前後して、モーニング娘。OGなどハロプロ年上メンバーの演劇方面への進出が始まりました。また、同時期に、ハロプロエッグハロプロ研修生の前身)も演劇方面の仕事を始めます。

モーニング娘。自体の話ではないので簡易に書きますが、これによって卒業メンバーの演技力・歌唱力がより早く向上していく流れができ、それとともに、より技術・実績を必要とするような舞台への出演も可能になっていき、現役メンバーの卒業後の進路を一つ具体化させることもできました。また、ハロプロエッグ時代に既に演劇の技術をある程度磨いた状態でデビューするメンバー、というのも数年後に出現することになります。*14


・バレー応援仕事、オリコン週間ランキング1位など

2006年秋、バレー日本代表(男子)の応援仕事が入りました。また、この秋リリースの新曲「歩いてる」が久しぶりにオリコン週間1位になりました。

モーニング娘。オリジナルメンバーが全員卒業してからは初の1位であり、6期・7期メンバーにとって初の1位でもありました。バレー仕事も合わせ幸せな秋ではありましたが、前述の通りまだまだ指標は上向いておらず、いわゆる全盛期の記憶もまだ鮮やかな頃で、むしろそのうちの一人である吉澤ひとみさんがまだ在籍していた頃でした。リリースされる曲もまだまだ迷走……といいますか、明確なイメージを作れない状態が続いていて、こういった対外アピールの機会があってもまだ「あの頃と似たような魅力をあの頃より薄い印象で放っているモーニング娘。」といったイメージになってしまっていたのではないかと思います。

そんな何を目指せばいいかが見えてこない中で、人望のあるリーダー吉澤ひとみさんが指し示す「やるからには本気でやり切る」体育会系の方針が当時のモーニング娘。たちに前を向かせていたように思っています。当時ハロープロジェクトでは「Gatas Brilhantes H.P.(通称ガッタス)」というフットサルチームが活躍しており、吉澤さんはこのチームのキャプテンも兼任していました。このチームは「やるからには本気でやり切る」ことを吉澤さんが事務所に直訴したことにより結果として大きな成果を上げましたが、この前向きな方針は当時のモーニング娘。にもプラスの影響を与えていたように思います。

なかなかはっきりした光の見えない時期ではありましたが、コンサートの評価上昇や海外ファンのコンサート参加、宝塚コラボ舞台による実力上昇とそれらによる新規ファン、前述のうさピー開始、アニメ方面からのアプローチなど、将来へ繋がる様々な明るい変化の見られた時期でもありました。


]へつづく

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*1:特に5期以降世代はあまり効果的なトーク練習の場を与えてもらえずにいました

*2:参考までに、2009年頃からはたぶん、結果的にAmazonで予約して買うのが一番安く買えたのではないでしょうか。何年もたってもAmazon予約の20~26%引きを超えられない、という状態が続いています。一部、握手会が絡んでくるシングルCDはそれなりに値下がりしますが、それもこの頃の値下がりほどではありません。

*3:正確には、この時惜しくもグランプリを逃したことが悔しくて、ハロプロエッグオーディションで再チャレンジしたんだそうです。

*4:唯一、初めてのミュージカル「LOVEセンチュリー」はそれなりに評価されてたように思いますが、それは比較的珍しい事例でした

*5:これはダメだったところですが

*6:メンバーからはっきりとそういった話が聞けるようになったのは2008年頃からでした。

*7:特に、初の公開収録は緊張のあまり大変なことになってました(笑)

*8:先述のハロマゲドンなどもその過程だと思います

*9:5期メンバー新垣里沙・6期メンバー亀井絵里のコンビ

*10:確かリーマンショックの煽りを受け、ラジオ局が軒並み経営危機に陥ったことで改編が相次ぎ、光井さんがミニコーナーを借りていた母屋の番組も終わってしまってこのコーナー、予定外に早くなくなってしまいました。これは痛かったです

*11:リーダーのトーク対策をするには遅いと思いますが、もしかすると、裏でやっていたらしい「方言矯正レッスン」に目処がついてから始めたのかもしれない、とも思っています。ちなみにこのレッスンを受けてることはわりとナイショだったそうで、それゆえ受け始めた時期も理由も分かってないのですが、5期メンバーのファンクラブイベントで同期・小川麻琴さんがバラしてしまいました。(笑) http://www5a.biglobe.ne.jp/~accent/into.htm ←おそらくこんな感じのところかなと。

*12:雑誌TopYellのプラチナ期短期連載にて。…先生はこの事実に気付いて問題視して、おそらくは改善に全力で取り組んでくださったんじゃないかなと思っています。山城先生が関わられるようになってからの彼女たちは少し表情が違った気がするんです。

*13:実際それによる自信喪失がまだ尾を引いているように見えるメンバーもいます。いつ頃責任を担わせられるのがちょうどいいかはメンバーによって個々に違うというところもあって難しい問題ですが、今後そのあたりのケアもできるシステムに変わっていってくれることを期待しています。

*14:アンジュルム福田花音、Juice=Juice高木紗友希宮本佳林モーニング娘。工藤遥など