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「恋空」を読んでみた

本じゃなくてウェブ上で読める方の「恋空」を読んでみました。

なんか読んでてすんごいアイタタタタターでした。……いや、作者さん読者さんの問題ではなくて自分の問題なんですけどもね。私はもうこういうものを必要としてないんだな、と思いながら読みました。


えーと、文章の書き方から思うのは、この作者さんはとにかく自分のことを伝えるので精一杯なんではないかということ。それから、もし作中の主人公の行動が実話なら、「周りに理解してもらおう」という思考がそもそも乏しい、或いは「分かってほしい気持ちはあるけど不器用でそれができていない」という方なのかなと思います。

友人や大人への諦め・怒りの気持ちが頻出する一方で、親兄弟のことは本当は大切に思ってるし、大切にしてくれる人がいるとすぐに感動する。学校の先生にも怒りや諦めを向ける場面と感謝する場面がありますね。

直情的で、潔癖で、0か100かの考え方をしがち。自分の大切にしているものをないがしろにされるとプチンといっちゃう。人を信じたい、理解されたい、認められたくて否定されるのが怖い。

作者さんも読者さんもごくごく普通の、10代〜20代前半の女の子なんだろうなぁというのが感想です。

ただ、多少「ん?」と思うことがあっても忘れるし雰囲気に流されるしなんというか丸め込まれやすい子である可能性はあるかな。あとは、周りの刺激や自分の問題でいっぱいいっぱいになってる可能性もあるかもしれない*1。よく言われる「コミュニケーションに飢えている」というやつもあるかもしれませんね。

どの可能性も若い女の子には普通のことなので、「恋空」を読んでようが読んでなかろうが10代の女の子が不安定であることには大差ないと思います。親や友達とも深刻な(本人にとっては)意見の食い違いが出たりして、誰を信用していいかも分からなくなってしまったりするもんです。体も変わるし周りからの目も変わって動揺するしね。普通のことです。


あとは性描写の問題が取り沙汰されてるんでしたっけ。モラルに欠けた描写が多いと。

まず一つ思うのは、「恋空」に感動している女の子たちは、その中で起きている一つ一つの事象にはあまり関心がないだろうということ。話の展開や場面場面のできごとで感動したり怒ったりはしても、うーん、ある種の妄想みたいなもんというかね、実際同じことをやろうと思うかどうかとはまったく別の問題なんですよねこういうのって。自分をどういう気分にさせてくれるかが問題なのであって、中身に全く関心がないとは言わないけど、うん、あまり細かいことは考えてないと思います。娯楽だし。

それから、どんな話を読もうが、どんなものに感動しようが、結局本人に一番影響を与えるのは周りの人間、特に大人たちなので……と思いながらハロプロを眺めるととっても悲しい気持ちになりますが、個人的にはガッタスのお姉さん方がちょっと先を歩いて「こっちだよ」と手を引いてくれるのを期待しておきます。だから、ガッタスにはもう競技志向はやめてほしいなぁ。ついていけないからと辞めてしまう子ができるだけ出ないことを祈ってます。身近で同じ仕事をしていて10代の心の揺れを知っててその収め方を教えてくれる人、絶対にものすごく必要だと思うので。


余談ですが、作中に「ミヤビ」と「マイミ」が出てきますね。役どころからして「ミヤビ」という名前の友達にはちょっとお勧めしづらいですが、友人に「マイミ」ちゃんがいたら、10代の頃の私なら確実に話題にします。たぶん、読んでみたら〜?って言ってただろうな。


あ、あとカラオケ場面でラブマも出てきてますねw

*1:そういう時にこういう音楽や小説へ救いを求めるのはよくあることなので